正文

11 向何處去/何処へ

日本近代文學(xué)名作鑒賞:漢、日 作者:譚晶華 著


11 向何處去/

正宗白鳥

【作品梗概】

主人公菅沼健次27歲,未婚,大學(xué)畢業(yè)后,做過一段時(shí)間的教員,現(xiàn)在在一家雜志社當(dāng)記者,有時(shí)寫寫文學(xué)評(píng)論。他是個(gè)“不溺主義、不醉酒、不貪女色、不迷自我才智”的清醒的虛無主義者,對(duì)世上的一切都感到倦怠和孤獨(dú)。摯友織田常吉為了一家的生計(jì)嘔心瀝血,消耗著自己的才智,對(duì)此,菅沼健次持一種輕蔑的批判態(tài)度。他一家五口,除父母外,還有兩個(gè)妹妹。老朽官吏的父親是有資格直接晉見幕府將軍的旗本武士家出身,十分強(qiáng)調(diào)祖先的家世,注重光宗耀祖,健次作為長子,父親對(duì)他寄予厚望。然而健次卻不愿成為家庭的犧牲品,拒絕成婚,時(shí)時(shí)企圖從家族的重負(fù)、家庭的束縛中擺脫出來。恩師桂田夫婦、朋友們對(duì)他的期待也成了他思想上的負(fù)擔(dān),他熱衷追求的竟是“熱血沸騰、蕩氣回腸”的強(qiáng)烈道德,但這種東西哪兒也不存在??椞锏拿妹铭Q子、小飯館的雪子對(duì)他抱有好感,織田也想讓他與自己妹妹成親,而他卻讓詩人箕浦與她結(jié)合,自己抽身逃避。周圍人對(duì)他的愛更使健次感到孤獨(dú),朋友們的好意成了他嘲笑的對(duì)象,對(duì)于人類的不信、對(duì)人生意義的懷疑,使之對(duì)人們?nèi)粘F椒驳纳钌罡邢訍?,卻又無法滿足自己虛無的精神生活。他始終在追求“新生命的發(fā)起”,追尋“向何處去”,卻怎么也找不到可以激發(fā)熱情的對(duì)象,覓不到前進(jìn)的方向。以極其倦怠的狀態(tài)想從根岸遷到可以看見房總半島群山的月島去居住,但回到家中,母親和妹妹告訴他的一天中的大事卻是貓和魚。

【作品鑒賞】

本中篇小說1908年1月至4月在《早稻田文學(xué)》雜志上連載,同年10月由易風(fēng)社出版單行本。主人公菅沼健次就是作者本人。作者25歲(1903)時(shí)作為《讀賣新聞》的文藝記者,寫過不少無情地抨擊封建傳統(tǒng)和權(quán)威的評(píng)論,對(duì)于明治社會(huì)中家庭的重壓和封建家長制的權(quán)力以及整個(gè)社會(huì)環(huán)境中處處可見的封建的形式主義持完全否定的態(tài)度。只是在現(xiàn)實(shí)生活中,他又難以找到解決這些問題的辦法,因而日益顯現(xiàn)出一種懷疑和虛無的傾向。1904年,在他的處女作《寂寞》中作者已表現(xiàn)出這種作風(fēng)。有人評(píng)論說,他的創(chuàng)作在明確表示自己的人生觀的同時(shí),“并不將其藝術(shù)化,而是以露骨的議論方式來表達(dá)”,這種寫作方法與同時(shí)代的田山花袋和德田秋聲的自然主義有所不同。因此,正宗白鳥的創(chuàng)作中幾乎沒有直接描寫作者自身情況的。而讓人感到意外的是,本作品主人公菅沼健次卻赤裸裸地表現(xiàn)了作者的性格,這或許是田山花袋的《棉被》(1907)發(fā)表后好評(píng)如潮對(duì)白鳥產(chǎn)生影響的緣故。

本作品的主人公由于生活在封建的家族制度中,因而具有濃厚的虛無主義的人生觀。他是一個(gè)不迷政治、宗教、戀情、女色的冷酷旁觀者,看透了人的本質(zhì)。他對(duì)于封建主義殘?jiān)嗄鯊氐追穸?,卻又沒有任何可以解決問題的現(xiàn)實(shí)方法,因而產(chǎn)生的懷疑和虛無成了主人公生活的基調(diào)。他是一種社會(huì)的隨心所欲者,也是社會(huì)中可有可無的多余的人。這一點(diǎn),成了日本謀求發(fā)展近代化進(jìn)程中的一類知識(shí)分子的典型,完全能和二葉亭四迷小說《浮云》中的內(nèi)海文三相比較,從而凸顯出生活在閉塞的明治社會(huì)中的作者本人的形象。這一通過作家自身來表現(xiàn)明治社會(huì)知識(shí)分子苦惱的創(chuàng)作被認(rèn)為是自然主義文學(xué)的代表作,確立了正宗白鳥作為自然主義作家的地位。

這部作品的結(jié)尾部分多少有點(diǎn)令人難以接受的感覺,據(jù)說那時(shí)作者在創(chuàng)作過程中失去了興趣,因而硬是倉促結(jié)束。有趣的是,這個(gè)結(jié)尾反倒與自然主義文學(xué)“無理想無解決”的一貫表現(xiàn)吻合,因而受到好評(píng)。

選文[1]

かれ獨(dú)どくかんえぬ、さびしくこころ細(xì)ぼそくてならぬ。しょうねん時(shí)だいぶんより強(qiáng)つよやつ、たかやつにぶっかってけんしていたころは、身體からだじゅう生命いのちちて、はりあいのあるおくっていたのだ。ちかまつ[2]とうこく[3]さくんでき、はなばなしいナポレオン[4]しょうがいむねおどらせた時(shí)ぶんは、ほし優(yōu)やさしいおんがくそうし、とりあいうたでもんでいたのだ。しかしこうにもわった。なにが動(dòng)機(jī)どうきいくつのとしにか、ぶんにもさらからぬが、ほしおんがくめ、とりうため、せんでんらいほしかぶとしろがねづくりのも、こうせて、ぶんにはふるどうものわらなくなった。いまからおもうと、どもおりによくぶんけんきかけたとなりてつぞうなんかがなつかしい。彼奴あいつのおかげでどのくらいげんよくりきんでいたことか。いまぶんはどちらかとえばあいされておくっている。みのうら[5]かつらも、いやそればかりじゃない、かつらじんにもいもうとにもさくらゆきにもあいせられてこそいれ、さしてきらわれてはいない。にもてつぞうがいないのだ?!?ruby>愛あいせらるるはさいわいなり、あいするものさいわいなり。」せいじんだのじんだのはかっていってやがる。すくなくもおれにゃてきようできぬことだ。あいせられればあいせられるほど、ぶんにはさびしくてちからけて獨(dú)どくかんえぬ。いっそのこと、ほうからぶんにくんでめてくれば、すこしははりあいおもしろいが、でられてめられて、そして生命いのちのないしょうがい、それがなにになろう?!?ruby>迫はくがいされるものさいわいなり。」っていう此奴こいつ當(dāng)たってることだ。くるしめられようとかされようと、きずけてたおれようと、生命いのちちたしょうがい、ぶんはそれがしいのだ[6]。

けんたちあがるのもものそうに、こうかんがえているなかに、さけめて風(fēng)かぜつめたくなった。かれしゅえず、どくしょえず、さけえず、おんなえず、おのれのさいにもえぬを、獨(dú)ひとりであわれにかんじた。ぶんぶんびんになって、まついっ點(diǎn)てんなみだえた。

しずかな風(fēng)かぜあしもときころがし、じゅじょうよりもふたひらひらあたまかすめてぶ。

じゅんよこけんかえりながら、ゆうぜんとしてあるいている。

けん識(shí)しきにベンチをはなれ、ぼうかぶなおして、くらやみみち辿たどってしんざかた。

結(jié)マリエージ?」と、おもわずくちしたが、そのしゅんかんくちもとにくわらいをらした。

「ノンセンス[7]!結(jié)けっこんしてていつくる、かいびゃくらいおくまんにんにんげんふるしたことだ、かつらてい、ていていじつれいはもういている?!工?ruby>胸むねそこからこたえる。

【選文注釋】

[1]本段引自作品“八”的末尾部分,道出了主人公性格形成的由來,對(duì)于現(xiàn)實(shí)的見解及其精神上的苦悶。

[2]近松:即近松門左衛(wèi)門(1653—1724),江戶時(shí)代的凈琉璃·歌舞伎狂言作家。一些描寫社會(huì)生活的代表作寫出了封建時(shí)代情義、金錢的矛盾,結(jié)局為悲劇殉情的作品深受日本讀者歡迎。

[3]透谷:即北村透谷(1868—1894),明治時(shí)代浪漫主義的文學(xué)評(píng)論家。

[4]ナポレオン:即拿破侖(1769—1821),法國皇帝。

[5]箕浦も:均為作品中人物,箕浦是詩人;織田是健次的好朋友;桂田是恩師。

[6]主人公追求的是“熱血沸騰、蕩氣回腸”的道德觀,但并不存在。

[7]ノンセンス:沒有意義;荒謬。ft

【作者簡介】

まさむねはくちょう(1879—1962)原名正宗忠夫。岡山縣人。日本近代小說家、劇作家、評(píng)論家。大學(xué)時(shí)代接受基督教洗禮。1901年早稻田大學(xué)畢業(yè)后進(jìn)入讀賣新聞社寫戲劇評(píng)論,《寂寞》《塵?!泛捅咀髌钒l(fā)表后,確立了自然主義作家的地位。1910年起成為專業(yè)作家。其創(chuàng)作有別于其他日本自然主義作家,對(duì)一切現(xiàn)象持懷疑態(tài)度并具有強(qiáng)烈的批判精神,描繪出社會(huì)的倦怠和幻滅形態(tài)。其主要?jiǎng)?chuàng)作還有《微笑》《入江江畔》《毒婦般的女人》等。另有《逃離日本》《自然主義盛衰史》等評(píng)論。1950年獲日本文化勛章。


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